お金持ちの人たちだけが集まり、既存の自治体から離脱して作った町(市)がアメリカにはあるそうです。「独立市」と呼ばれ、数年前にはテレビでも取り上げられて一時期話題になりました。

今回はこの独立市が誕生した経緯と、お金持ちの人たちにとってのメリットについて書き残しておきます。

独立市とは?誕生の経緯

アメリカの独立市は、負担する税金が重いわりに公共サービスによって受け取れる利益が少ないことに怒った富裕層たちが、富裕層だけで集まって独立して誕生した市になります。

アメリカは日本と同じように個人所得に対して累進課税がされ、個人所得税のほかに州税や市税(日本の住民税)がかかります。これらの税金は累進課税のため、所得の多い人ほど税率が高く、たくさんの税金を納めることになります。反対に、所得の少ない人は少ない税金を納めます。

そして税金によって運営されたり市民に対して提供される公共サービスは、所得の大小にかかわらずみんな一緒です。それどころか、所得がゼロでその日の暮らしにも困っているような人は税金から衣食住を提供してもらえたりしているので、実質的にプラスにすらなります。働かずに喰う飯はうまいです。

富裕層たちからすれば、自分が払った税金が自分たちのために使われるわけではなく、働いていない人たちや所得を増やすための努力を怠っている人達のために使われてるように見えてしまいます。

実際その通りなのですが、こういった現状に不満を抱く富裕層たちの一部が独立し、「富裕層の、富裕層による、富裕層のための市」を作りました。それが独立市です。

独立市の住民はお金持ちばかりなので、貧乏人たちを養うために税金を払う必要がなくなります。自分のために使われることのない無駄な出費を減らすことができるので、富裕層からすれば納得のいくお金の使い方になります。

アメリカでは法律上、住民投票を経て賛成多数であれば新しい自治体を設立できるため、富裕層たちの独立活動によって2005年、お金持ちだけが集まる市としてジョージア州にサンディ・スプリングス市が誕生しました。

なお、住民投票によって生まれた独立市は他にもたくさんありますが、今回は富裕層だけが集まった街としての独立市だけを取り上げています。

富裕層の、富裕層による、富裕層のための公共サービス

税金の配分や使い道への不満からサンディ・スプリングス市は生まれましたが、新し自治体を作るということは、新しい行政機関を作る必要があるということを意味します。

市役所や議会、警察・消防といった公的機関を編成しなければなりません。水道・道路のインフラ整備といった業務も必要です。

サンディ・スプリングス市の場合はこれらの公的機関のうち最低限必要な人員だけを雇用し、それ以外はすべて民間に委託しているそうです。

直接雇用している市の職員数は人口9万人に対してわずか9名しかおらず(2014年時点)、公務員の数が少ないおかげで退職金や将来的な年金の負担が減らせます。

民間に委託している部門では、それぞれが所属している企業が給与や年金を負担しているため、現在日本が抱えているような「将来世代にツケを先送りする」といったこともないそうです。

行政サービスの大半を民間企業に任せているため、公務員にありがちな「どんぶり勘定」「予算は減らすものではなく使い切るもの」「税金だから儲からなくてもいい」といったこともありません。結果的に経費が削減でき、民営化によりサービス品質の向上にもつながっています。

独立市では公共サービスの民営化により、税金は安く抑えられ、公的組織は柔軟で効率的な運営が実現し、民間企業により最新技術の導入が進み、外部人材の登用により専門的な知識と技術の恩恵を受けることができ、理想的な行政運営が進みました。

こうして富裕層の楽園が誕生したのです。

残された貧乏人の町は…

ところで、サンディ・スプリングス市では富裕層が集まって独立市を作りましたが、富裕層が抜けたあと、元の町ではどのようなことが起こったのでしょうか。

当然、富裕層がいなくなったわけですから、税収は減り、税金によって賄われていた公的サービスも質が下がります。

ゴミ収集の回数が減ったり、公立図書館の開館時間が短縮されたり、高齢者センターの食事代の値上げがされたり、公立病院では医師の削減などが起こります。行政の支援によって雨風をしのぎ空腹を持ちこたえさせていた人たちは支援が打ち切られて犯罪に走り、治安も悪化します。

富裕層たちが元の街よりも良い世界を作り出す一方で、元の街よりも悪い世界へと突き落とされる人たちがいたわけです。

こうして富裕層と貧乏な人たちの間では、格差が広がり続けています。

いつまでも富裕層でいられると思うなよ

価値あるものを生み出し、お金をたくさん稼ぎ、税金をたくさん払ってくれている方々のことを私は尊敬しています。

しかしながら、一部の富裕層の人たちは自分たちのことだけを考え、貧乏な人の生活なんか知ったことではない、という態度をとっています。苦労してお金を稼ぎ、せっかく勝ち組になれたと思ったら高額の税金を徴収され、自分より努力していない怠け者な貧乏人を養わされるのですから、嫌になってしまう気持ちも理解できます。

ですが、そんな裕福でお金持ちな人たちも、一生涯、豊かな生活を続けられる保証がどこにあるのでしょうか?

  • ある日突然難病に犯され、高額な治療費が必要になる
  • 戦争や災害により、ある日突然、財産をすべて失う

このようなリスクは誰もが持っています。経済的に成功しても、順風満帆な人生から、ある日突然最底辺な生活へ転がり落ちるリスクを持ち合わせているわけです。

そしてこれらのリスクに備えて社会保障は存在し、公的機関も存在し、運営資金として税金が存在しています。また、底辺生活に転落した人でも這いあがるチャンスをつかめるよう、図書館では知識や情報を無料で公開してくれていたりします。

税金の使い方には問題があるし、怠け者を養うことに納得できない気持ちはわかりますが「税金が嫌だから自分たちだけで独立をする」というのは、あまり賢い選択ではないように感じました。

税金は将来の自分自身のために使われるかもしれませんし、自分の子孫の代になってから税金のお世話になる可能性もあります。

私は納税額よりも受け取っている公的サービスの方が多い人なので、たくさん稼いでたくさん納税している人のことを尊敬しています。しかしながらアメリカの独立市の事例を知り、「いつまでも富裕層でいられると思うなよ」と密かに毒を吐きました。

あなたはどう思いますか?

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