某新聞の今日の朝刊の投書欄に、「友人に初孫が生まれたので何かプレゼントを贈ろうと思ったけど、良い案が思い浮かばなかったのでその日の新聞をプレゼントしたら喜ばれた」というものがありました。この「新聞をプレゼントする」という老人的発想と、新聞文化の衰退について書いてみたいと思います。

新聞はプレゼントになるか?

「新聞をプレゼントする」というのはいかにも老人的な発想なのですが、気軽に贈れるプレゼントとしてはアリだと思います。ただ単に新聞をあげるのでは何の有難みもありませんが、記念日の日付が入っていることで付加価値を生むことができます。

しかも新聞の値段なんて1部当たり缶コーヒー1本分くらいです。家族や知人の誕生日にプレゼントするのはさすがに考え物ですが、”友人の孫”みたいに面識がないし会ったこともない人へのプレゼントとしては十分だと思います。

私も昔、お世話になっている方の子どもの誕生日だからという理由で、お世話になっている人たちがそれぞれ誕生日のお祝いを贈るということがありました。正直なところ会ったこともない人にお祝いを贈るという発想が意味不明だったので私はなにも贈らなかったのですが、新聞なら安いのであまり乗り気じゃないときのプレゼントにも使えそうです。

祖父のことを思い出しました

実は新聞をプレゼントしたという投書を読んで、祖父のことを思い出しました。

私の祖父は若いころに米軍基地で消防士をやっていたことがあるらしく、地域新聞の小さな蘭で取り上げられたことがあるそうです。その時の新聞の切り抜きを見せてもらったことがあり、新聞は記念品になりうるのだと感心しました。

「記念日の新聞を保存しておく」というのは、5年、10年…と月日が流れたときに初めて価値を感じるのだと思います。数年後にアルバムのように眺めて、「そういえばあの頃はこんなことがあったんだな」と感傷に浸るアイテムになりえます。

いまはあまり価値を感じるものではありませんが、数年後に読み返した時の思い出のツールとして新聞は優秀だと感じました。

新聞文化の衰退

そんな新聞ですが、インターネットの発達や紙媒体の衰退によって廃刊・消滅の危機にさらされています。「ニュースを伝える」という目的だけを考えれば個人的には衰退しても全然構わないと思っているのですが、新聞は新聞なりにメリットがあります。

記念日のプレゼントとして使えることもそうですし、紙媒体は発行後に修正することができないため、後で読み返したときに当時の状況を詳細に知ることが可能です。ネットニュースだと日付や内容をあとからいくらでも修正できてしまうため、後から振り返ったときに当時の状況を検証することができません。

  • その日の出来事を時系列で振り返る
  • 時間を追って検証する

といったことができないわけです。

新聞が衰退した後、報道の検証や歴史の検証はどのようにやるのか心配です。今の出来事を正しく後世に残すことができるのか?疑問に感じました。